とある事件の情報複数を基に、グループディスカッションでの見解も交えて考察していきたい。
ジャーナリズム:新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどで時事的な問題の報道・解説・批判などを行う活動。また、その事業、組織。(岩波書店「広辞苑」より引用)
私たちは日常の様々な情報の多くをジャーナリズムから得ており、情報と私たちを繋ぐジャーナリズムは情報化社会に生きる現代人になくてはならない存在となっている。
そういうわけで、報道機関は社会的な影響力をもっており、「立法」「行政」「司法」の三権力にこの「報道機関」を加えて「第四権力」とも言われているほどである。
国民は国家の妨害を受けずに情報を自由に受取れる「知る権利」があり、報道機関も「報道の自由」「表現の自由」「言論の自由」があることにより、私たちは色んな情報を容易に知り得ることができるようになったが、その情報は送り手の視点によって、受け手が感じるニュアンスや印象は大きく左右されることがある。
そこで、今回のテーマである「公正、公平、中立な文書を作成する際、どのような事を考慮するべきか」について考えていきたい。以下、参考にした事件の情報を中立にまとめたものである。
ショッピングセンターAの屋外に設置してある受水槽から遺体が発見された。
遺体の遺族によると、男性はその月の一日から行方不明となっており、探していたという。A店内の飲食店などはこの受水槽から配水されており、店はすぐに水道の供給を止めて保健所に通報し、水質検査を行う一方で、受水槽内の水を排出して消毒をした。
検査では水質基準に適合し、肝炎やHIVウイルスの問題もないとして、Aは遺体発見から六日後に営業を再開した。
以下の点を気を付ければ「公正、公平、中立」に近い文章を書くことができるのではないかと思う。
- 内容があやふやで不確かな部分は省く
- 要点をはっきりおさえる
- 私的な見解は載せない
上から順に詳しく解説していくと、不確かな事柄をさも事実のように断言する、または可能性を示唆することで社会が混乱する危険性――事実でないことが事実になってしまうなどがありえる。
(例:トイレットペーパー騒動)
そして、今回の事件の要点は以下の四点におさえられるだろう。- Aの受水槽から遺体が見つかる
- 受水槽の水はA店内の飲食店などに配水
- 水質検査に異常はなく、肝炎やHIVウイルスの問題もない
- Aは六日後に営業を再開する
最後に私的な見解についてだが、これは書きようによって「公正、公平、中立」性が失われる。
特に、大手新聞会社のトップ見出しと、小さなコラムや個人ブログでするのとは影響力が違う。
だけれども、決していけないことではない。
私たちに「知る権利」があるように、報道機関には「報道の自由」「表現の自由」「言論の自由」があるし、そういった私的な見解は醍醐味でもある。と、私は感じている。
私がディスカッションの前にまとめた情報に「Aは遺体が浮いていた一か月間についての言及はなく、管理体制への不信感が拭えない。Aはホームページ上の「お問い合わせ」項目を削除するなど人々の不安は増幅するばかりである。」と書いた。
それはAを非難するものではなく、参考資料(※1)と照らし合わせた事実と、ある記事の見解に同感したからであったが、受け手によっては「Aに対する非難」ともみられる内容であったようだ。
※1…Aはホームページの企業情報にて、安全面で疑問が生じた場合、事の大小に関わらず、正確な事実の把握につとめ敏速な対応をする。また、客からの意見・要望・苦情などすべてを経営の原点と考え、(中略)すばやく実現に努めると誓っている。
情報を見直してみると、事件から推測されるAの内情ばかりで、実際にA側の詳細についてを書かれているものが少なく、内容が自然と「遺体水を飲んでしまった被害者」寄りになってしまっていたが、それでは中立とは言えない。
しかし、A側の情報がないのも事実で、公正、公平、中立さを保つのにはやはり、内容があやふやで不確かな部分は省く・要点をはっきりおさえる・私的な見解は載せないという考慮が必要なのではないだろうか、という結論に至った。